仕事ができるひとを雇うことで生産性は上がり、仕事ができるひとを定義することで、仕事ができるひとが採用できる
人数だけ多くでも生産性は高くならない
「ひとがどんどん増えていて、あの社長はやり手だ。。。」といったことを思われたりする場面もあったりするものかもしれません。
「頻繁にオフィスを移転している。」とも知ると急成長企業のような印象を受けたりもするものでしょう。
「じぶんはどんどん置いていかれていると。」と。
とはいっても「従業員数が多い。」といったことが「生産性が高い会社」というものではないものです。
たとえば、財務指標のひとつである「一人当たり粗利益」を計算してみると、従業員数が多い会社とじぶんの組織の生産性を比べられたりもするといえます。
粗利益(売上高総利益) ÷ 従業員数 = 一人当たり粗利益
すると「あの会社の(年間)一人当たり粗利益は800万円だけど、じぶんは2,000万円」などと比較ができるのです。
生産性が高い組織のほうが「働きやすく・仕事のスピードが早く・お客様に愛される。」といった定義になるといえます。
なので「生産性はどうなっているの。。。」といったように従業員数だけで組織を評価しないほうがいいのです。
ひとを雇うなら仕事ができるひと
「人手が足りないから採用していいですか。。。」といったような声がじぶんの心の中や従業員の方から上がってくる場面もあったりするかもしれません。
かつて勤めていた税理士事務所も、
「人手が足りないんです。。。」とひたすら悲鳴を挙げている部署があったものです。
ただ、人手というのは何人採用しても「人手が足らない。。。」といった声が上がってくるものでした。
なぜなら「ひとが増えることによって、仕事を教える仕事が増えて社外に対して使う時間が減る。」といえるからです。
「メンバーが多くなってきたから、ミーティングを増やそう。」といったことは、あるある話だといえるかもしれません。
それとととも「ミーティンをおこなっても、みんなへの周知が足りないから個別面談もやっていこう。」などと、さらに別のミーティングという社内の仕事が増えていくものです。
「あのひとには何回も説明しているんだけど。。。」と考えながらチームの和を整えるために社内用の仕事が増えていくからです。
などという「従業員数が増えると社内用の仕事が増えるのはなぜ。。。」といえば、仕事ができるひとを採用できていないからでしょう。
仕事の定義ができていないから、仕事ができるひとが採用できない
「仕事ができるひとって、どんなひと。」といえば、その定義は事業内容によって変わってくるものです。
飲食業なら「美味しい料理がつくれて、接客がいいひと。」だといえるでしょうし、製造業であれば「凄腕の職人技を持つとともにデジタルにも強いひと。」だといえるかもしれません。
なので「じぶんの組織は、これができるひとが仕事ができるひと。」という定義をひとを採用する前におこなわなければ「人手が足りない。」という事態が続いていくといえます。
「1分間にタイピングで1,000文字の入力ができるひと。」が仕事ができるひとなのか、
「愛嬌のよさで接待を重ねて取引先とのコネクションを太くするひと。」が仕事ができるひとといった定義をひとを採用する前におこなわなければならないのです。
たとえば、わたしの事業であれば、
「デジタルが好きで、ガジェットへの投資を惜しまず、読書を重ね、ひとに対してマウントを取ることがなく、めんどくさがり感が強い視野が広いひと。」といったことができるひとが、仕事ができるひとだといえます。
これらができれば「お客様への対応が抜群になる。」といった定義をしているといえるのです。
だからか「AIに仕事が奪われることはない。。。」などというひととは相性が悪いといえます。
「どんどんAIに任せる領域を増やしてみよ。だって楽しいし、めんどくさいことが避けられるんだもん。」と心から考えているひとと仕事をしたいと考えています。
「ここまでAIにやらせてできちゃうと、じぶんの存在感がなくなる。」と考えるひとは、仕事ができない判定を下してしまうものです。
などというように「じぶんの組織にとって仕事ができるひとはどんなひとか。」といった定義をすることから採用活動を始めたほうがいいといえます。
「人手が足りないから。。。」といっていると、お客様から愛されない生産性が低い組織ができてしまうものです。